WAVE@RIDER

僕が愛して止まない沖縄方面とFOOTBALLをメインに、広く浅くお届けします。

あの日から29年。

 

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今から29年前の今日8月12日。

羽田から大阪へと飛行中だった日本航空123便が、群馬県御巣鷹の尾根に墜落した。乗員乗客524名のうち生存者はたった4名。520名の尊い命が犠牲となった。

墜落したのはボーイング747SRという機材。これは日本の国内線事情に叶った機材で、長くても3時間程度の短距離フライト(SRはShort Rangeの略)で大勢の乗客を運べるよう改良した機材らしい。導入当時は民間航空史上最多の500席が提供できる機材であったのと、夏休み時期、しかもお盆休みも絡み、ここまで犠牲者の数が増えたのだろう。

今回のブログは正直迷いました。個人的にこういう内容は「らしくない」し、わざわざ僕がブログに書かなくても、今日一日でこの事故について見聞きした方も多いだろうしね。

でも、この事故は僕にとって未だに大きな記憶となって存在している。なぜなら、当時高校2年生だった僕は、この事故の翌日に中学3年の妹と二人で羽田から飛行機に搭乗したからなんだ。

高校2年とはいえまだ子供だった俺は、この事故のニュースを見てさすがに翌日の搭乗にビビっていたんだ。テレビ各局が報道していたため、否が応でも事故の状況が目に耳に入ってくる。それまで想像したことすらなかった「飛行機が墜落したらこうなるのか」という想像がとてもリアルに頭の中を駆け巡り、飛行機に乗ることが完全に怖くなった。

 

当時の僕は、父親と妹の3人暮らしだった。父親は自宅で仕事をすることを生業としており、僕と妹が夏休みに入り自宅にいる時間が増えたため疎ましく思ったのだろう、ある日突然「お前ら二人で北海道に旅行に行って来い」と言われた。

僕はもちろん初めての北海道。正直嬉しかった。一緒にいくのが当時喧嘩ばかりしていた妹とはいえ、人生2回めの飛行機に、大人抜きで乗れることがとても嬉しかったんだ。なんか一人前の男になれるような気がしてさ。だから僕は、高2のくせに北海道へと出発する日を指折り数えて過ごしてた。

そして29年前の8月12日がやってきた。荷造りを終え、家族3人で夕飯を食べていた時だったと思う。テレビの画面が突然切り替わり、日本航空123便墜落のニュースを知った。それからずっと、テレビ各局は日航機墜落のニュースを報じ続けていた。

すると、普段は無口で鉄拳制裁を常としている父親が突然口を開き、僕と妹に「明日、北海道行くの止めるか?」と聞いてきたのだ。その一言が、僕の恐怖心に火を点けたんだ。普段は滅多に口を開かない無口で暴力的な父親が、日航機のニュースを見ながら、明日からの北海道旅行を止めるかどうか聞いてきたんだ。大人の、しかも父親のその真顔な言葉に一層恐怖を感じた。

墜落したのは日本航空。明日、北海道へと向かうために搭乗する飛行機は全日空。しかし、エアラインが違えど、同じ空を飛ぶ乗り物には変わりないので、なんの気休めにもならなかったっけ。

それでも、妹の手前もあり僕から「止める」とは言えない。そこは兄としての威厳が辛うじて勝ったんだ。そして妹も「止める」とは言わなかった。だから僕と妹は翌日予定通り羽田から北海道へと飛行機で向かった。当初は羽田空港まで見送りに行かないと言っていた父親が、羽田まで見送りに来てくれたのを鮮明に覚えてる。

 

29年経った今でも、この日が来ると考える。

「もし、29年前の北海道旅行が大阪だったら」

「もし、大阪だったら123便に乗っていたかもしれない」と。

だから、僕の中では日航機墜落事故は決して風化することはない。高校2年のまだ未成熟な頭だった頃の記憶にも関わらず、僕は決してあの日の出来事を忘れない。